インド・タミル・ナードゥ州旅行記(3・4日目)

3日目
朝からタクシーで移動。
実は前日にタクシーを手配しようと思ったら、

「カウンターは14時からしか空いてないから、来ても誰もいないよ。チェックアウトの鍵はカウンターに置いておいてね」

と言われたので、そうしようと意気込んでカウンターに向かうと、普通に人がいた。

「カウンター空いてるじゃん!!」

と思ったが、そのままタクシーに乗って移動。
目指すはタンジャーヴール。世界遺産、ブリハディーシュワラ寺院のあるところ。

途中で、花びらを撒き散らしながら太鼓を叩いている人たちを見かけた。
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結婚式か何かか? と思って、引っ張られている車の様子を見てみると、中に人が横たわっている。明らかに生気が無い様子。

という事はこれは葬式?
葬式で、花びら撒き散らしながら太鼓を叩いて踊る?

日本の感覚と真逆だったのでこれはびっくりした。
どういう儀式なんだろうか?

タンジャーヴールに着く。
クンバコーナムと比べたら空気は澄んでいる。
暑いけど。
ブリハディーシュワラ寺院は、3つある世界遺産「チョーラ朝の寺院群」の中でも最初に登録されたもの。
成る程確かにその規模は2日目に観たダーラースラムよりかなり大きかった。
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インドで二番目に大きいと言われるナンディー像が鎮座している。
一つの岩から削りとって作られているらしい。
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ちなみに、マハーバリプラムにあったアルジュナの苦行もそうだった。

大きな本殿。これも一つの岩から作られているらしい。
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ここでも、本尊はシヴァリンガ。
ちなみに本尊では写真は取れない。
ここでも僧侶がマントラを唱えて火の熱気を浴びせてくれた。
異教徒に対しても割りとおおらかなのだろうと思った。

城壁(寺壁?)の周囲には、シヴァリンガがあった。
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次に王宮へ行く。
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インドの観光地ってほとんどが寺院ばかりで貴族の住まいとかが無かったので、ここには期待していた。
しかし

「今、改装中だから王宮には行けないよ」

と言われる。

ショック!!

代わりに近くにある博物館をチラチラと見て回る。

色んな神様がいた。
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次にティルチラパッリへ移動。
ここも汚かった。
ホテルへ荷物を置いて、ランガーナタスワーミー寺院へ。
タクシーの運転手がやたら高い値段を提示してくる。

「ランガーナタスワーミー寺院とロックフォート寺院に行ってくれ」

「分かった。往復で1000ルピーだ」

「1000ルピー!? 高すぎる」

「ランガーナタスワーミー寺院まで14㎞あるんだぞ?」

「じゃあ良い。他のタクシーに乗るよ」

と言ってその場を去る仕草を見せると、

「分かった800ルピーだ!」

「500!」

「700!」

というジョセフ・ジョースター的問答を繰り返し、結局700ルピーにした。
これでも現地人感覚で言うと高いと思うけど。

やたら話しかけてくる人が多くて、
ここも観光客慣れした土地なのかと思った。
その割には、インド人以外全く見かけなかったが。

綺麗なゴープラム。
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ここは珍しくヴィシュヌ寺院だった。
ヒンドゥー教徒以外入れないところが多くて、早々に退散。
次に岩砦(ロックフォート)寺院へ。
ここはかなり段差が多くて疲れた。
入り口で入場券を切る人が、右手だけで入場券を切ってて、

「左手は何か怪我でもして不自由なのか?」

と思ったのだけれど、後で考え直すと、

(左手は不浄だから右手だけを使ったのかもしれない)

と思った。

ここの本尊はガネーシャ神だった。
高いところから街の全景が見渡せる。
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ホテルへ戻る前にインドのスーパーみたいなところに行く。
ここはクーラーも効いてて綺麗だった。
輸入品っぽい置物が沢山置いてあって、かなり高かった。
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ここでインドの民族衣装? ドーティーを買った。
ドーティーじゃなくてルンギだよ、と言われた。
白いのがドーティーで色が付いてたらルンギらしい。

ホテルでご飯を食べた。
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ここの料理はかなり美味しかった。
インドの労働は傍から見てても効率の悪そうなものが多く、
日本だと1人でやっていそうな事を3人くらいでやっている。
その結果、暇になっている人が沢山いるのでレストランのウェイター等はやたらと話しかけてくる。
でも基本的にみんな良い人だった。
オーナーは従業員に厳しそうな人だったが。
キツくあたったり、尻を叩いたりしていてカースト? を若干感じた一面だった。
ウェイターの人に日本から持ってきたお菓子を渡した。
そういえばここでは初めてインドのビール(キングフィッシャー)を飲んだ。
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インドではお酒を飲む事は割りと非奨励な事らしく、レストラン等では頼めないところが多い。
頼めるところでも、メニューには書いておらず、裏メニューとして存在する。
独特な味で割りと美味しかった。
ピルスナー系では無い感じの味。

4日目
朝9時にマドゥライ行きの列車のチケットを買いに駅に行くも、
次の列車は13時からだよ、と言われる。
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後4時間……。

しかし料金は一人65ルピー(100円)だった。
3時間電車に乗って100円という破格。

バスで移動しても良かったが、一度インドの列車を体験したかったので列車で行く事にする。
インドの駅は割りと綺麗だった。
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ホームはここで良いのか? と色んな人に聞いていると、肌の色白目な裕福そうな(恰幅の良い)おじさんに話しかけられる。

「お前ら一般車のチケットを取ったのか? あそこはクーラー聞いてないからめちゃくちゃ暑いぞ。来い。予約できていなくても、適当に空いている席に座って後で料金払えば良いんだ」

と言われ、付いて行く。
どこが空いている席なのか一見して分からず、

「そこは私の席だ」

とインド人に言われまくるが、何とかして空いている席に座る。
これで良いのかよくわからなかったが、暫くして車掌が来たのでお金を渡したら本当にそのままでOKだった。おじさんに助けられた!

「おじさん……。優しいおじさんっっ……!!」

聞くところによるとそのおじさんはデリー出身らしくて、車の部品の発注関係の仕事をしているらしい。絶対富裕層だろうなぁ。

「どうして北インドに来ずに、南インドを旅行することにしたんだ?」

と聞かれたので、

「デリー周辺は治安が悪いと聞いたんだ」

と言うと

「そんな事は無い! デリー人も皆親切だぞ。デリー、アグラ、ヴァーラーナーシー、どこも素晴らしいところだ。今度来い! 案内してやる」

と言ってきた。
別れる時はあっさり別れた。
うーん、インド人、皆良い人である。

そのままマドゥライのモスクヴァホテルに行く。
このホテルはかなり綺麗だった。
サービスとしてフルーツジュースが振る舞われたが、氷が入っていたので飲まなかった。
インドでは氷は水道水から作られた危険が高いので飲まない方が良いと教わってきたのだ。

少し休んで今回の旅の目玉、ミーナークシーアンマン寺院へ。
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南インド屈指の寺院なだけあって物凄い活気だった。
面積もかなり広い。
カメラが持ち込み禁止で、金属探知機まで使われてチェックされたので内部の撮影はしていない。
寺院内は裸足で散策しなければならなかったのだが、かなり清掃されていたので、何かを踏んで痛いということは無かった。暑かったけれど。
でもやっぱり裸足で歩くと、「自分がインドに来た感」が増すので、裸足で歩くのは良いなと思った。
高い天井に彩られた極彩色の模様の下を裸足で歩くと、何となく古代インド人の感じた空間に身を寄せることが出来る気がした。
因みにインドでは寺院の外であろうと普段から裸足で暮らしている人が結構いた。
熱くないんだろうか……?

天井に描かれた鮮やかな色の蓮模様が綺麗。
天井もかなり高くて壮大。
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中にはかなり背の高い象(肩高3.5メートルくらい)や水牛がいた。
水牛には綺麗な装飾と刺青が塗ってあって、最初置物かと思ったので、動いてびっくりした。

中では信者が五体投地をしていたりした。
一見すると何も無い方向に祈っていたのが不思議だった。

中には博物館もあった。
何故かそこでは写真を取って良いらしい。
回廊は綺麗だったが、そこ以外で写真を取るべきものはあまりなかった。
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矢張りこの寺院は活気があった。
ドラヴィダ人のお伊勢さんのような場所なのだろう。
今までに観た寺院とは人の入りが段違いだ。

外に出てゴープラムを回る。
町並みは整頓されていて綺麗だった。
ゴミがほとんど落ちていない。
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しかし、聖地なだけあって、客引きがかなりしつこかった。
要らないと行っても最低5回は聞いてくる感じだ。

この日まで友達と行動していたけど、友達はカンニャークマリに行くとかで夜行列車だかバスだかに乗った。
自分は帰国しなきゃ行けないので明日マドゥライからチェンナイへ戻る予定なのだ。

インド・タミル・ナードゥ州旅行記(2日目)

2日目

 あまり眠れなかった。
 朝ごはん。
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 朝からリクシャを使って、バス停まで移動する。
 リクシャの運ちゃんに、バス停を聞くと、何も無い平地に案内される。

「本当にここにバスが来るのか?」

 と訝ったが、直後にその運ちゃんが

「バス来たぞ! 乗れ! 乗れ!」

 と叫ぶ。

 (本当に来た……!)

 とりあえずこれでポンディシェリーまで行く。60ルピー(約100円)。
 バスで二時間乗って100円なので死ぬほど安い。

 エアコンが効いていないバスなので暑いのかとおもいきや、バスの上部は上手く遮光されている上、窓から風が入りやすい構造になっていて、意外と暑くない。
 というか涼しい。砂埃はあるけど。
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 途中、バスが一時停止で休憩する。
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 社内アナウンスは一切無し。
 何分停車するのかの説明一切無し。
 そして何分かしたら再び動き始める。
 今から発車するぞ、等の説明は一切無し。

「取り残される人はいないのか?」

 と不思議に思った。
 しかも標識がなくてバス停がどこにあるのか全然分からない。
 インドに英語が通じる人がいなかったら詰んでいたと思う。
 タクシーの運転手もそうであったが、インド人はゴミを窓から捨てる。
 成る程、だから街がそこら中ゴミだらけになるのだな、と思った。

 インドの道路交通は超危険だった。
 インドは、治安、疫病、衛生、動物などなど色々脅威があると言われているが、自分がダントツに脅威と感じたのは、道路交通だった。
 インドのバスは危険運転で、二車線で対向車がバンバン来てるのに対向車線にはみだして追い越しをする。
 なので、一時的に順方向にも逆方向にも二車線ともに車が走っている状況が発生する。

 車線も基本的に無視で、二車線しか無い道路に三台車が並走していたりする。
 百聞は一見に如かずということで動画を見ていただけるとわかりやすい。

以下リンク
交通事故死者数世界No1 インド チェンナイの危険な衝突寸前ドライブ(でも現地では普通)【再編】

なんでこんな危険な運転をするんだ……?
こいつ……、死ぬのが怖くないのか?

と思った。
インド人は輪廻を信仰しているから死が怖くないのかもしれない(適当)
 個人的には、ディズニーランドでビッグサンダーマウンテンに乗るより、
 インドでバスに乗った方が遥かにスリルを味わえると思う。

 ポンディシェリーに着く。
 地球の歩き方には「元フランスの植民地の異国情緒漂うオシャレな街」と書かれていたので、今までのインドの都市より綺麗な都市だと期待。
 しかし、実際には……。

 汚っ!!
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 そこら中にゴミは散乱しているし、排気ガスと砂埃の嵐。

「今までのインド都市と全く同じじゃんか!」

 そう思った。

 気を取り直して、バスにもう1回乗る。

 今度はチダンバラムへ。
 いくらだったか覚えてないけど、30ルピーくらいだった気がする。
 大体50円くらい。

 またもや交通はカオス。
 追い越しは当たり前で、図体の大きなバスが猛スピードで前の車両を追い越そうと車線をはみ出してくる。

(やばいやばいぶつかる死ぬ……!)

 と、何度思った事か。
 しかし不思議な事に何故かぶつからない。
 運転手の超絶テクで、後30cmくらいで人轢いているんじゃないかと思われるような状態になるも、上手く避けている。

 バスの運転手は運転中に当たり前のように携帯に出て話をしている。
 その間もクラクションを鳴らしまくる。
 前方50メートル以内に、人が来たら鳴らす、車が来たら鳴らす。
 牛や犬が来ても鳴らす。

 (犬にもクラクション鳴らすのかよ……。)

 と思ってしまったが、音だから動物も反応するだろうし、合理的な事なのかも。

 チダンバラムに着く。
 この街も超絶汚い。
 バスターミナルの側に沢山屋台はあったが、こんなところで食べたら絶対に腹を壊すと思った。
 近くに綺麗目なホテルがあってそこで食事を取る。
 ドーサがかなり美味しい。
 しかも料金は100ルピー(約160円)。

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 両替所が近くにあるそうなので、ルピーを両替しに行くも、途中の道路が危険過ぎて死を何度か覚悟した。
 大量に車やバイクが走っているのに横断歩道は無い。
 車も当然止まる気配を一切見せないのでタイミングを見計らって渡るしかない。
 バイクも、人が渡るのを見るとクラクション鳴らすので、クラクション慣れしていない日本人は慌てる。

 何度も死の危険を感じながらも、何とか両替所に着く。
 レートは空港よりかなり良かった。
 空港で3万円両替すると、15400ルピーだったが、
 両替所だと17400ルピーになった。

 ところで、この街で見た求人広告には一週間の給料が「3500ルピー(約5000円)」と書いてあった。
 インド人水準でどのくらいの高給なのかはわからなかったが、広告が英語である以上高めの水準なのだろうと思った。その基準で行くと、自分の財布にはインド人二ヶ月分の給料が入っているんだなと思った。

 腹ごしらえしたところで、再びバスに。
 クンバコーナムに行きたかったが、直通便が無いとの事なので、よく分からない都市行きのに乗る。
 このバスは混雑していて、直射日光が照りつける、物置のような席に座らされたのでキツかった。
 謎都市で乗り換えて、クンバコーナム行きのバスを探す。
 このバスはそこまで混雑していなかったが、運転が荒すぎて何度か頭を窓にぶつけた。
 隣に座っていたインド人が話しかけてくる。

「チダンバラムのナタラージャ寺院には行ったか? タミルナードゥ州で最高の寺院だぞ」

「日中で空いてなかったから行かなかったんだ」

 というと相手は残念そうな顔をする。
 代わりに、マドゥライのミーナクシーアンマンに行こうとしている事を伝えると

「その寺院は知らない」

 と言われる。
 本当に知らないのか、単に発音の問題で通じなかったのかは定かではない。

 ようやくクンバコーナムに着く。
 ラヤズグランドというホテルに荷物を置いて、世界遺産「ダーラースラム」へ行く。
 ホテルから4kmで50ルピー(80円)。死ぬほど安い。
 あまりにも安すぎるので30ルピー多めにあげた。
 インド人はお金を多めにあげると大抵満面の笑顔を浮かべる。

 この街は、砂埃が一番酷かった。
 タクシーに乗って10分移動するだけで、頬がザラザラするようになった。
 街にもゴミがあふれていたし、汚さで言うと自分が行った中では最大級。

 ダーラースラム寺院に着く。
 寺院の側では子どもたちがボール遊びをしていて、完全に近所の公園扱いだった。世界遺産なのに。
 入場料もタダだったし、観光地として全く整備されていない。
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 寺院には靴を脱いで入らないといけない。
 子供がいて「靴を見ておいてやるから金をくれ」と言われる。
 小銭が無いので20ルピー渡しておいた。

 12世紀中頃の遺跡らしい。
 裸足で寺院内を歩くと古代インド人の気持ちになったようで気分が弾む。
 かなり熱いが。
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 寺院内では僧侶っぽい人が半裸でマントラを唱えていた。
 額にシヴァの印を付けてもらった。
 シヴァ神の印である白い横線を三本と、真ん中に赤い点が描かれた模様。
 火の回りに手を当てて、その熱気を額に浴びせる。
 ここ、かなりインド度高い。

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 「今から俺の言うようにマントラを唱えろ」

 と僧侶に言われる。

 「オーム。ナマーシヴァー」

 これはシヴァ神を称えるマントラでCDでも聞けるものだ。
 マントラを唱えろと言われた寺院はここだけだったので、一気にヒンドゥー教の儀式に対して親しみを覚える。

 でも、シヴァリンガを見て、神に対する信仰心が芽生えたとかそういうのは全く無かった。
 僧侶達は流石に敬虔な感じがしたが、一般信者たち、特に子供は、慣習として祈っている感じがした。

 宗教というのは思想というよりも慣習として存在しているんだとは思った。

 この後、クンベーシュヴァラ寺院に移動。
 ここでは入り口に象がいた。
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 リズミカルに頭を振っていて、首にかけた金属の飾りを音を鳴らしている。
 それが何とも音楽的で心地よい感じがした。
 象の鼻のところにお金を入れると、象が頭をなでてくれる。
 象は優しく撫でているつもりなのだろうけれど、結構重みがあって、象の力強さを感じた。

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 「嗚呼! 象! 偉大なる象の力!」

 この時から象良いわ〜、と思うようになって、象グッズを買い漁るようになった。

 ここも本尊はシヴァリンガだった。
 外国人が珍しいのか、結構ジロジロ見られるので、

「本当にここに居て良いのか?」

という気持ちになった。
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 凄まじいアウェー感。
 しかし、特に何かを言われるわけでもない事が分かったので、ずんずんと奥に進む。
 マントラが始まるとヒンドゥー教徒たちは一斉に本尊の方へ向かって合掌する。
 神に対して真摯に祈る人たちを真似して合掌したりするものの、あまりにじろじろ見られるので宗教的な気持ちよりはアウェー感が先行した。

 ホテルに戻ってご飯。

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 ここのドーサはそこまでおいしくなかった。
 トマトスープは美味しかったけど。

 インド人の従業員は基本的に雇用が余っている感じがして、かなり暇そうだった。
 ウェイターもやたらと話しかけてくる。

「どうだ? 旨いか?」

 など。
 食べるのが遅いと、

「あまり食べてないじゃないか? 嫌いなのか?」

 などなど。
 日本でこんなこと言われたら、

「静かに食わせてくれ」

 という感じだろうけど、現地の人にやたらと話しかけられるというのもインドの魅力なのかもしれない。

インド・タミル・ナードゥ州旅行記(1日目)

 インドに行ってきた。
 具体的にはインドのタミル・ナードゥ州をほぼ縦断した。
 インドは治安や衛生が良くないなどと言われているが、個人的にはそこまでとは思わなかった。

※:タミル・ナードゥ州はデリー周辺をはじめとする北インドよりは治安が良いらしいので、北インド行く人はより注意してくだされ。

 いわゆるインドが危ないと言われている理由を項目ごとに列挙し、実感を付記してみた。

交通:危険。横断歩道も信号も無いところを渡らないといけない。車もバイクも常時大量にやってくる。バスもかなり危険運転するので、乗っていても危険を感じる。

排気ガス:交通量が多いので。町中に排気ガスのにおいが充満している感じ。

砂埃:乾季のせいかもしれないけど、砂埃もひどかった。一番ひどかった街では、三輪タクシーで移動してると頬がザラザラした(それくらい砂が顔についてた)。

衛生環境:下痢はしたけど、腹痛には襲われなかった。あまり大したことない。その代わり屋台では一切食べなかったけれども。少し汚めなレストランでは食べた。値段に応じて衛生レベルが変化するらしい。自分は下限100ルピーくらいの店で食べた。

治安:全く危険は感じなかった。夜独りで歩いても問題はなかった。警戒していたけれども、誰かに付け狙われていると感じたことはなかった。勿論自分一人の場合を一般化はできないけれども。ただ、大きな寺院とか行くと客引きが非常に多い。でも無理やり引っ張られたりはしないので口で断るか、目線を合わせずに無視し続ければ(こっちの方が有効)、諦める。基本日本人相手には英語で話しかけてくるけど、「何イッテルカワカリマセーン」って顔しとけば相手も諦めるのでこちらも有効。

気温:日中40度近くになると聞いていたけれども、それほど辛くはなかった。帽子とうちわと水を持っていれば平気。ただバックパックを持ったまま歩くのは無理だなと思った。タクシーかホテルにおいてから行動するのが吉。

 治安と衛生環境の方を心配していたけれども、警戒するほどではなかった。
 一番危険だと思ったのは交通だった。
 信号も横断歩道も無く、ひっきりなしにバイクと車がやってくる。

「これは一体いつ渡れば良いんだ……?」

 と面食らって、呆然と突っ立ってしまう。
 常時赤信号のところを渡らないといけない感じ。
 計6日インドにいたけれど最後まで慣れなかった……。

 インド旅行一日目

 羽田空港からシンガポールへ。
 22時発の便。
 世界最高峰と言われるシンガポール航空を使用。
 シンガポール航空は午前2時くらいにご飯を出してくるので、

「一体何ご飯なのか?」

という疑問と戦わなければならない。
 シンガポール航空は映画が豊富らしいけど、とりあえず体力温存のために寝た。

 シンガポール着。
 乗り継ぎの便がいきなり3時間遅れ、出鼻をくじかれる。

「無敵のシンガポール航空で何とかしてくださいよぉぉ」

 って感じだった。
 よくみると、運行がSilkAirになっている。
 そのせいかもしれない。
 空いた時間で、一回シンガポールに出国しても良かったけど、眠かったので寝る。
 荷物も重いし。

 シンガポールからチェンナイへの飛行機。
 羽田出発時に見た大勢の日本人は消え、最早インド人がいるのみ。
 シンガポールからチェンナイへの直通便が出ているのはシンガポールにタミル人が多いからだと思う。
 シンガポールの公用語の一つにタミル語があるし。
 SilkAirの搭乗員は、シンガポール航空と比べるとちょっと強気。
 時間になっても座らないインド人に怒鳴っていた。

 現地時間12時。
 チェンナイ着。
 まずは両替所で日本円をインドルピーに変える。
 空港の両替所はレートが悪いと聞いていたのでまずは少額だけ両替しようとする。

「なんだ? これだけしか両替しないのか? もっと両替したらレートを上げてやるぞ」

 と両替所のおっさんに言われる。
 いきなりインドっぽい。
 少し悩んだが、そのまま同じ額の両替で通した。
 両替所でもらった金額がちゃんとあるか確認しようと思って念入りにチェックする。
 確かにちゃんとある。

「ふふん、俺はちゃんと確認する人間なんだ。旅行初心者とは違うぜ」

 と、得意げに空港を出ようとするも、パスポートが無いことに気付く。

 スーパーテンパる。
 しかし、両替所に忘れていたのを無事発見。事無きを得た。
 危うく、空港に着いて早々旅行が終了するところだった。

「インドに旅行してきたんだ。行ったところは、空港と……、総領事館かな」

 ってことにならなくて本当に良かった。

 色々あったが、無事? 到着。
 GoogleのCEOスンダル・ピチャイ、 MicrosoftのCEOサトヤ・ナデラをはじめとして数々のIT業界の大物を生み出し、かのスティーブ・ジョブズも憧れたと言われる大地!!

 それが、IT大国インド!!
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 IT大国インド!!
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 ・・・・・・。
 おかしい・・・・・・。
 あまり発展しているようには見えない。
 しかしよく見ると、上の写真、「7DX Theatre」と書いてある。日本の4DXを三次元分も上回っているのだ。
 流石IT大国。
 惜しむらくは、時間が無かったために、入場して7次元の世界を体感することができなかったことだ。

 気を取り直して、空港からタクシーを借りてマハーバリプラムまで行ってもらうことに。
 途中ティルカーリクンドラムというところに寄ってと頼むと料金は2500ルピーに。
 結構高い。
 ちなみに1ルピー1.6円くらいです。

 タクシーの運転手のおんちゃん
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 タミル・ナードゥ州の人は本当に色が黒い。
 黒人みたい。
 一応モンゴロイドらしいけど、あまりモンゴロイドという感じがしない。

 ティルカーリクンドラムに着いたが、寺院は閉まっていた。
 タミル・ナードゥ州の寺院は朝6時から12時まで開いていて、次は午後4時から午後7時くらいまで開いているというのが多い。
 ファンシーな色合い。
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 こちらはもう少し厳かな色合い。
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 寺院の中には半裸のインド人が沢山寝ていた。
 家の無い人が日陰を探していたのだろうか。
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 ここで沐浴場らしき場所に着く。
 これは何かとタクシーの運転手に聞いてみると、

「主宰神(イーシュヴァラ)だ」
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 と言っていた。
 沐浴場が主宰神?
 しっくり来なかったが、深くは掘り下げず。

 この街はかなり汚かった。(写真からだとあまり伝わりづらいけど)
 ゴミがそこら中に散らばっているし、牛や野犬の匂いもする。
 インド、とんでもないところだな、とこの時点では思った。
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そのままタクシーに乗り込んでマハーバリプラムに。
 ホテル、ママーラヘリテッジに荷物を置いて、ファイブ・ラタ、アルジュナの苦行、海岸寺院、クリシュナのバターボールを観に行く。
 ファイブ・ラタはマハーバーラタのパーンダヴァにあやかって名付けられた寺院。
 それぞれ、ダルマラージャ・ラタ、ビーマ・ラタ、アルジュナ・ラタ、ナクラサハデーヴァ・ラタ、ドラウパディー・ラタがある。(ラタは建造物?)
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 しかし、看板を読むと、「パーンダヴァ五兄弟の名前が付けられているが、関連性は全く無い」と書かれている。
 関係無いのかよ!
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 ここで外国人用見学料金500ルピーをとられる。
 めちゃ高い。元々250ルピーだったのに最近値上げしたっぽい。
 めちゃ高いと言っても800円くらいなので、日本換算だと普通の値段。
 因みにインド人は20ルピー。30円くらい。インド人料金が安すぎる。
 インド人と、外国人で料金が20倍くらい違うのはインドでは普通の模様。

 ここで見た海岸寺院とファイブ・ラタはかなり風化している様子だった。
 インド人も遺跡を雑に扱っている。
 象の石像の上に子供がまたがっていたりして、完全に「デパートの屋上遊園地」扱いだった。

 海岸寺院では、本尊を見るためには靴を脱がないといけない。
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 地面が汚かったが、そのまま靴を脱いで中に。
 本尊であるシヴァリンガが祀られていた。
 信者の人たちに混じってシヴァリンガの回りをくるくると回る。

 ここは観光地だからか、かなり人が多かった。
 オートリキシャー(三輪車タクシー)に乗ると、人とバイクとリキシャーの群れに突進してクラクションを鳴らしまくる。1秒間に2回くらいのペース。そこに牛と山羊と野犬が交じる。
 スーパーカオス。
 譲り合いの精神等はなく、ちょっと隙間があったらブオーンと前進。
 最早ギャグ漫画であった。

 インドの野犬。
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 野犬がいると聞いて割りとビビっていたけど、基本的に日中は暑さでぐったりしているし、そうでなくても人間を無視して歩いている感じだから別に怖くはなかった。

 ここで思ったんだけど、リクシャーの運転手は、「全部の遺跡を回って400ルピー」という風に料金を決める。
 その時、途中で降りて遺跡を回っても、待っている間に料金は増えない。
 待っている間に逃げられる、とか思わないんだろうか? と思ってしまった。
 観光地に行ったら、「相手を信用するな」というのは旅行者に説かれる訓戒だけれど、ここではタクシーの運転手が旅行者を完全に信頼していて、「そんなに信頼して良いのか?」と思ってしまった。
 ちなみにこの料金の払い方は、他のどの都市でも同じだった。
 先に料金を決めるシステムも良い。日本だと、渋滞してたという理由でいくらでも料金が増えてしまうからね。

 アルジュナの苦行。これは状態も良くてかなり大きかった。
 タクシーの運転手に「どれがアルジュナだ?」って聞いたら、「あれだ」って指指していたけど、「本当か?」と思ってしまった。
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この彫刻は「ガンガーの降下」であるという説もあって、結局のところ確実なことは何もわからないらしい。

 クリシュナのバターボール。現地で見るとかなり大きく、また不安定な足場に立っていたので、見ていてハラハラした。
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 途中、ムーンレイカーズという食い物屋で食事。
 途轍も無い量の食事が出てくる。
 二郎か。
 食いきれず残す。

 ホテルに戻る。
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 クーラー付けているのにかなり暑い。
 窓を開けっ放しにして寝た。
 虫に刺されてよく眠れなかった。
 蚊かダニかわからなかったけど、蚊の飛ぶ音を全く聞かなかったので、恐らくはダニだと思う。
 このホテル、三星なのに、クーラー効かないわ虫に刺されるわで微妙だなと思った。
 インドのホテルはこんなものかと思ったのだけれど、実はこのホテルはインド旅行中に泊まったホテルの中では一番低質だった。
 他のホテルはもっとガンガンにクーラーが効いたし、部屋も清潔だったのだ。

マハーバーラタ解説2:悲劇の英雄カルナ

今日はみんな大好きカルナのお話です。
カルナはインドの大叙事詩マハーバーラタの英雄の一人です。
その人気はマハーバーラタの代表的な英雄であるアルジュナに勝るとも劣らないほどです。
何故人気なのか?
それはカルナの境遇について理解すればすんなりと理解できると思います。

  • カルナは王族と神の息子として生まれたが、幼い頃に親に棄てられた。
  • その後、身分の低い両親に拾われ、育てられる。
  • 元々、神の息子であるため、類稀なる能力を持っているが、出自の悪さ故に差別を受け続けてきた。
  • マハーバーラタの正義側であるパーンダヴァ兄弟もカルナを下に見ていた。
  • しかし、従兄弟でありながらもパーンダヴァと敵対するドゥルヨーダナは、カルナを王にする。これ以後、二人は盟友となる。
  • 最終的にパーンダヴァの三男であるアルジュナと決戦を行う。カルナは類稀なる力を持っていたが、聖仙の呪いによって実力を発揮できずに敗れる。

どうでしょうか? 熱いですね。熱いですよね。
人気が出るのも納得です。
今回は、そんなカルナについての紹介記事を書いていきます。
マハーバーラタ全体についての解説は
http://thetenthart.main.jp/?p=199
をご覧ください。

カルナはパーンダヴァ五王子(アルジュナを含む五兄弟)と同じ母親クンティーから生まれましたが、母クンティーが未婚時に産んだ子供であったため、棄てられてしまい、御者(スータ)であるアディラタに拾われ、育てられます[上村訳 マハーバーラタ 4巻382p]。王子として育てられ、何不自由なく暮らしてきたアルジュナとは対照的です。
実際の生まれは王族でありながらも、カルナは身分の低い御者(スータ)として生きていく事になります。
実力がありながらも身分の低さ故に認められなかったカルナは、自らを見下してきたアルジュナを憎みます。この時点では、アルジュナとカルナが実の兄弟である事は、アルジュナもカルナも知りません。
そんな折、アルジュナと対立していた従兄弟のドゥルヨーダナはカルナに国を与え、王族にします。この事に恩を感じたカルナはドゥルヨーダナのために尽くしていく事を誓います。その忠義は実の母に対してよりも重いものでありました。クルクシェートラの地で、パーンダヴァ五王子とカウラヴァ百王子(ドゥルヨーダナ含む百人の王子)との間の戦争が避けられなくなると、開戦前、母クンティーはカルナの元へやってきてこう言います。

「私はお前の実の母です。そして貴方は、今から殺し合いをしようとしているパーンダヴァ五王子の兄なのです。カウラヴァ側に付くのはやめて五王子と共に戦ってください」

これを聞いたカルナはわずかの間逡巡しますが、すぐに決意めいた面持ちで母を拒絶します。

「貴方(クンティー)の指令を実行する事が、私にとって法(ダルマ)の門であろう。しかし貴方は、私に対し非常にひどい罪を犯した。あなたは私を捨てたのだ。その罪は私の名誉を失わせるものであった。私は王族として生まれたのに、王族にふさわしい尊敬を得られなかった。それも貴方のせいだ。その貴方が今、単に自分の利益を望んで私に説教している。ドリタラーシトラの息子たち(カウラヴァ百王子)は私のすべての望みをかなえてくれて、いつも私を尊敬してくれていた。その事をどうして無にする事ができようか」[上村訳マハーバーラタ5巻412p]

しかし、この時はカルナは母親に免じて、ある一つの約束をします。すなわち、アルジュナ以外の五王子は殺さないという約束です。これは戦において相当のハンディとなりました。何故なら、カルナはアルジュナ以外の四人を全員一度倒しかけていますが、この約束のため逃しているのです。[上村訳マハーバーラタ 5巻412p]

この他にもカルナには大きなハンディが二つありました。一つは戦争前に武器を失ってしまった事です。
カルナには生まれつき体を覆う黄金の鎧と耳輪がありました。これらがある限り、カルナは不死身だったのです。
しかし、カルナはこの鎧と耳輪を、戦の直前に、僧に化けたインドラに与えてしまいます。カルナは聖戒を守る人物であったため、僧がそれらを要求しても断ることをしませんでした。これがカルナが「施しの英雄」であると呼ばれている所以です(でも基本的には自分の実力を誇示する性格です)。その代わり、カルナはインドラから必殺の槍を授かります。しかしこれは結局アルジュナには使えず終いになってしまいます。[上村訳マハーバーラタ 4巻382p]

カルナが負ったもう一つのハンディは、聖仙による呪いです。
カルナは、アルジュナの師匠であるドローナに弟子入りしようとしますが、身分の低さゆえに断られてしまいます。そのため、ドローナの師匠であるパラシュラーマ(ヴィシュヌの化身)に弟子入りをします。しかし、パラシュラーマも貴族嫌いであったため、結局は身分を偽って弟子入りする事となります。
カルナはパラシュラーマを膝枕で寝かしている時に、毒蛇に噛まれます。この時、師匠を起こさないように、激痛を忍び、声をあげずにいましたが、それに気付いたパラシュラーマは「そのような激痛に耐えられるのは貴族以外にいない。お前は身分を偽っていたのだな」と怒ってカルナに呪いをかけてしまいます。その呪いは、大事な局面で必殺技を思い出せなくなる事、馬車の車輪が溝にハマって身動きが取れなくなるであろう事でした[Ganguli; Karna Parvan; Section42]。これら2つのハンディがためにカルナはアルジュナに敗れてしまうのです。

戦争の十五日目、それまでカウラヴァの総司令であったドローナが奸計によって命を落とします。
そこでドゥルヨーダナはカルナを新たな総司令に命じます。そして宿敵アルジュナとの最終決戦が始まります。必殺の武器であったはずのインドラの槍は、既にガトートカチャ(パーンダヴァの次男ビーマの息子)を殺すために使ってしまい、残っていません。接戦を繰り広げる中、カルナは無意識に放った矢でアルジュナを落馬させます。その矢の正体はカーンダヴァ森でアルジュナに殺された蛇神の息子だったのです。蛇神は言いました。

「もう一度我を放て。そうすれば次こそアルジュナを殺せるだろう」

と。しかしカルナは、その矢を手放しこう言いました。

「蛇神よ、私は決して他人の力に依る勝利は望まない。たとえ戦場で100人のアルジュナを殺さねばならないとしても、同じ矢を再び撃つ事は無いだろう」

こういう格好良い台詞が随所にあるのもマハーバーラタの魅力ですね。その後、聖仙の呪いによって、馬車の車輪が溝に嵌り、身動きが取れなくなったところをアルジュナの矢によって討たれます。[Ganguli; Karna Parvan; Section90]

この話はインド最古の叙事詩リグ・ヴェーダのある一節と象徴的な対応関係にあります。
カルナは太陽神スーリヤの息子、アルジュナは闘神インドラの息子ですが、元々それぞれの両親(インドラとスーリヤ)は仲が悪いらしく、インド最古の叙事詩リグ・ヴェーダにもそれが描かれています。そして、リグ・ヴェーダ(4・28・2; http://www.sacred-texts.com/hin/rigveda/rv01130.htm Waxed strong in might at dawn he tore the Sun’s wheel off. )には、インドラがスーリヤの車輪を奪う話が書かれています。これはカルナの馬車の車輪が溝に嵌った事と対応しています。

戦争後、アルジュナとその兄弟はカルナが実の兄であった事を知り、嘆き悲しみます。以上がカルナにまつわる大まかな話です。
前述の通り、カルナは身分が低いながらも比類なき英雄であったため、低身分層の人々から絶大な支持を得ています。また、「御者として育てられたが、実際には貴族である」という出自が理由で、高身分層の人たちからも人気を集めているそうです。その象徴がシヴァージーサーヴァントの書いた大ヒット小説「死の征服者カルナ」です。この小説はインドでベストセラーとなり、十以上の言語に翻訳されてきたそうです。そこでは、原典では悪役寄りに描かれていたカルナが完全無欠の正義として描かれ、寧ろ原典で正義であったパーンダヴァが悪役として描かれているというほどの偏向ぶりです[マハーバーラタの世界 前川輝光 272p]。
カルナは基本的に時代を経るごとに美化され、人気を博すようになっています。インドネシアにおけるマハーバーラタでは、カルナがアルジュナに匹敵する英雄として理想的に描かれ、ワヤン・クリなどの人形劇でもよく題材にされています[マハーバーラタの世界 前川輝光 281p]。

デルフォイの巫女について

1.序論
 デルフォイの巫女「ピューティア」は歴史上世界に最も大きな影響を与えた巫女だと言えるでしょう。
 ソクラテスがソフィストの啓蒙活動に至ったのもデルフォイの神託がきっかけ[1]だし、ペルシア戦争の際にペルシャ艦隊を追い払う事が出来た[2]のも、アテネの僭主ソロンが政治改革を行ったこと[3]も、スパルタが富国強兵的な政策方針に転換した[4]のも、全てデルフォイの神託がきっかけだと言われてます。
 ギリシャに限らず古代は女性差別の激しかった時代です。それにも関わらず、国政に影響を与えるほどの発言権を持っていたデルフォイの巫女とは一体どんな役職だったのか?この事についてに触れてみたいと思います。

出典
 [1]ソクラテスの友人カイレポンがデルフォイのお告げ「ソクラテス以上の知者はいない」をソクラテスに伝えた事がきっかけ。[ソクラテスの弁明 岩波文庫]
 [2]B.C.480、ペルシア軍がギリシャに攻めてきたとき、デルフォイの神託は「風に祈れ」と述べた。その結果、嵐が起こり、ペルシアの艦船に壊滅的打撃を与えたという。
The oracle ancient Delphi and the science behind its lost secrets 位置No.916
 [3]”Policy of compromise would bring the best results.Sit in the middle of the ship, guiding straight the helmsman’s task, Many of the Athenians will be your helpers”
The oracle ancient Delphi and the science behind its lost secrets 位置No.700
 [4]スパルタの王リュクルゴスはデルフォイの神託を聞いて、富国強兵政策を打ち出すようになった
The oracle ancient Delphi and the science behind its lost secrets 位置No.678
 

2.信託の儀式
 デルフォイの神殿の地下には巫女が信託を告げるための儀礼場がありました。
 巫女は三脚台の上に座り、岩の裂け目から漏れだす蒸気(プネウマ)を吸って、恍惚状態に陥り、その状態で預言を告げていたそうです。
 蒸気(プネウマ)とは何なのでしょうか?恐らくメタンガスであるという説が有力のようです[5]。
 デルフォイの神託をお願いするには料金と動物の生贄が必要だったみたいです。
 信託にかかる料金は、紀元前402年のとある資料によると公的機関による依頼なら7ドラクマと2オボール、私的利用ならその4オボール[6]。
 1ドラクマが肉体労働者の1日の給料だったことを考えると相当安いですね。こんなに安くてよかったんでしょうか。
 生贄の動物には多くの場合ヤギが使われました。生贄の動物が吉兆を示さなければ預言を行わなかったようです。たとえばヤギの場合は、聖水をふりかけた時に、正しい身震いの仕方をしなければならなかったとか。 正しい身震いの仕方がどういうものかは詳しくは判明していませんが、たとえばひづめを上にあげる、ということが一つの要素ではあったようです[7]。

出典
 [5] The Delphic Oracle: A Multidisciplinary Defense of the Gaseous Vent Theory
 [6] Delphi: A history of the center of the ancient world; 17ページ参照。
 [7] Delphi: A history of the center of the ancient world; 15ページ参照。

 

3.デルフォイの神
 デルフォイの預言は神の言葉だとされています。神がお告げを巫女に吹き込み、それが巫女の口から語られます。ここで言う神って誰なのかっていうと、それはもう古代ギリシャにおける預言の神アポロンの事です。ギリシャ神話では預言を行うのはアポロンだけではありません。例えばドドナにはゼウスの信託所がありました。
しかしながら、もともとデルフォイでは別の神が預言を行っていたとされています。
ゼウスの祖母でもある地母神ガイアです。ガイアが預言者の座を娘のテミスに譲り、それからアポロンがせめて来て、デルフォイの守護者であったピュートーンを殺し、預言者の座についたと言われています。この神話は、元々地母神ガイアを信仰する民族がデルフォイにいて、それを外来の民族が征服した事を示しているという説があります[8]。

出典
 [8]Delphi: A history of the center of the ancient world; 31-36ページ参照。

 

4.デルフォイの巫女の起源
 デルフォイの巫女は、西暦392年に古代ローマのテオドシウス帝がデルフォイの神託を異教として禁止するまで、少なくとも1000年以上にわたって預言の神アポロンの預言を伝え続けてきました。
 デルフォイの神託がいつから行われていたかは不明です。ただ、ホメロスの著作で既に言及されていたことから、少なくとも紀元前700年には存在していたと考えられています。そして、【デルフォイの神】で前述したように、デルフォイでは元々別の神が崇められていた事を考えると、更に昔に遡る事が出来そうです。起源は紀元前2000年まで遡ると主張している学者もいるそうです。
 別の説によると、紀元前900年が起源であったり、学者によって推定年代のバラ付きが大きいようです[9]。

出典
 [9]Delphi: A history of the center of the ancient world; 31-36,53ページ参照。

 

5.デルフォイの巫女の暮らし
 神託はアポロンにとっての吉数である7日に行われていました。
 しかし、デルフォイの神託は冬には行われなかったので、デルフォイの巫女が信託を伝える日はわずか9日だけだったそうで[10]。年間350日休暇ですよ・・。今の日本なら超ホワイト企業ですね。冬に信託を行わなかったのは、冬には上述した蒸気(プネウマ)が地下から発生しなかったからだと伝えられています。冬には預言の神アポロンはデルフォイを去り、代わりにディオニュソスがやってくると伝えられていたそうです。しかし、神殿が忙しくなると毎日行うこともあったそうです。
 ピューティアの身分は結構高かったらしく、演劇は最前列で見に行けたし、自分で土地を持ってたりもしたらしいです。
 ピューティアがどのようにして選ばれたかは謎に包まれています。分かっていることは、他の神官らが、高貴な出自の者たちであったのに対し、ピューティアは平民であったということです(デルフォイの市民から選ばれる)。
 また、当初は若い処女が選ばれていましたが、一度、ピューティアが住民の一人に犯される事件が発生してからは、50近い老婆が選ばれるようになったそうです[10]。

出典
 [10]Delphi: A history of the center of the ancient world; 13ページ参照。

 

6.著名なデルフォイの巫女
 フェモノエ - デルフォイの最初の巫女。「汝自身を知れ」という言葉を残した事で有名。

 テミストクレア - 某定理で有名なピタゴラスの先生だった人。

 クセノクレア - 親友殺しの罪で病を負ったヘラクレスに「1年間奴隷として働けば病は治る」と伝えた。

 クレア - かのプルタルコスの盟友だったと伝えられる巫女。プルタルコスは古代ローマの有名な歴史家で「英雄伝」「モラリア」の作者。デルフォイの神官長を務めていた事でも知られる。古代ローマ第一級の知識人であったプルタルコスと対等に知識交流が出来た巫女がいたというのは驚きです。

 アリストニス - サラミスの海戦の頃のピューティア[11]

 ペリアルス - スパルタのクレオメネスが賄賂で買収して、望まれる通りの預言を行った巫女。クレオメネスは政敵であったデマラトゥスを追放するために、「デマラトゥスはスパルタ王の本当の息子ではない」という嘘の信託をペリアルスに述べさせた。[12]

出典
 [11]Delphi: A history of the center of the ancient world; 脚注1参照。
 [12]The oracle ancient Delphi and the science behind its lost secrets
 位置No.1958

 
7.デルフォイの信託に関する本
 いかがでしたでしょうか?
 デルフォイの巫女は調べてみると非常に面白いのですが、残念ながら得られる情報源はかなり少ないです。
 たとえば、日本語でデルフォイの信託について書かれた本は、
  「デルフォイの神域 (世界の聖域 3) 講談社 1981 」
 が自分の知っている限り唯一のものです。かなり古い本ですね。
英語の書籍なら上の引用でも使った二冊の本があります。

 1. The oracle ancient Delphi and the science behind its lost secrets; William J Broad; Penguin Books(2007)
 2. Delphi: A history of the center of the ancient world; Michael Scott; Princeton University Press(2014)

 他にもデルフォイの信託を扱った現代小説として
  「巫女」 - ラーゲルクヴィスト 岩波文庫
 があります。これは非常に面白い本で、一気に読み終えてしまいました。
当サークル制作のノベルゲーム「らうりえの花」はこの小説をモデルにしています。
宗教文学としては珍しくギリシャの神(アポロン)を題材にしていますが、宗教観や神の捉え方は完全にキリスト教ですね。山の奥にひっそりと暮らしている元巫女の老婆が、過去を追憶していくお話です。語り手は老婆ですが、巫女であった時は若い少女だったようです。

もう一つ、
「巫女の死」 - デュレンマット 新潮文庫
 という小説がありますが、これは賄賂を題材にしたお話です。このデルフォイの巫女は、ラーゲルクヴィストの小説とは違って老婆です。信託自体を悪く描いている印象があったので、個人的にはあまり好きな小説ではありませんでした。

ナマステ・インディア(東方学院公開講義)

ナマステ・インディアで東方学院が講義を行っていたので聞きに行っていました。
聞きに行ったのは27日で26日のは見に行っていません。
間違いがあればご指摘いただけると幸いです。

お題は4つ。
1.日本におけるインド式討論
2.植民地インドと近代日本
3.パドマサンバヴァ伝説の起源について
4.インド的寛容 ー「神」ーをめぐって

1.日本におけるインド式討論
 元々仏教には論理学は無かったけれども、ヒンドゥー教が論理武装してきたため仏教でも論理学の研究が盛んになった。
 ディグナーガはインドの仏教論理学において最も重要な人物であるが、その教理は日本には伝わらなかった。
 玄奘三蔵がディグナーガを中国に紹介しなかったからである。
 代わりに慈恩大師という人物の教説を広めたが、これはインド仏教論理学においては主流ではなかった。
 そのため日本には、インド仏教論理学のある一部分だけが偏って伝えられた形になる。
 玄奘三蔵がディグナーガの説を広めなかった理由は不明であるが、一説によると玄奘三蔵自身がその教理を理解できなかったからではないかとも言われている。
 何はともあれこのような形で中国に伝えられたインドの仏教論理学は法相宗の道昭によって日本にも広められる事となった。
 日本の論理展開では例示は必ずしも必要とされていないが、インド論理学ではほとんどの場合、何か自説を述べる時、その例を述べなければならないというのが特徴らしい。

2.植民地インドと近代日本
 歴史上初めてインドに行ったと確証出来る日本人はフランシスコ・ザビエルによってキリスト教に改宗したヤジロウという人物であると言われている。
 仏教徒でインドに行った人物は、明治以前にはいないのである。
 このように、日本はインドという国を仏教を通じて知ってはいたが、文献上の知識、伝聞の知識でしかその姿を思い描く事ができなかったのである。
 インドは江戸時代までには、「仏教興隆の地」という意味で尊敬を集めていたが、インドがイギリスに支配されるようになるとその見方は変わった。
 福沢諭吉は「文明論之概略」で、インドは西欧列強に植民地支配されてしまった悪しき前例であることを述べている。
 そして、岡倉天心、大川周明、鹿子木員信は「日本はインドの仏教と中国の儒教を統合する事の出来た国である。その日本こそがアジアの盟主となって、西欧列強の呪縛からアジアを解放すべきである」と述べるに至った。
 しかし、こういった日本を優位と見る発想はインドからは冷ややかに見られていた。
 ノーベル文学賞受賞者のタゴールは「日本は物質技術を西欧から受け継いだが、その基盤にある思想は受け継いでいない。思想的基盤が弱い」と批判的に言っている。
 タゴールは来日した際、東京大学、慶応大学で講演を行ったが、その時日本の軍国主義を批判したため、大ブーイングを浴びたと言われている。

3.パドマサンバヴァ伝説の起源について
この講義は難しくてよくわからなかった(ぇ)。

4.インド的寛容
疲れたので気が向いたらまた書きます(ぇ)。

叙事詩と自然言語処理(マハーバーラタ1)

叙事詩と自然言語処理(マハーバーラタ1)

叙事詩、神話は著作権が切れているものが多く、ネット上にデータがごろごろ公開されています。

例えばここ
http://www.sacred-texts.com/
あるいはこちらに
https://www.gutenberg.org/

日本語の神話文献がフリーで公開されている場所は青空文庫くらいしか分かりません。ここには知里真志保、知里幸恵(アイヌ神話)、土井晩翠(ギリシャ神話)、ダンテ(キリスト教神話)などがありますね。

こういったデータを使って、自然言語処理をやってみようと思ってます。
自然言語処理というのは要するにパソコンが自動で文章を解析する技術の事です。

今回(というか当分の間)使うデータは
マハーバーラタのGanguli訳
http://www.sacred-texts.com/hin/maha/index.htm

で、使用したAPIはStanfordParserです。
http://nlp.stanford.edu/software/lex-parser.shtml

これを使うと、例えば文章中である単語とある単語がどういう関係にあるかと言ったことが抽出出来ます。

nsubj(victorious-14, Kripa-10)

victorious(常勝の)Kripa(クリパ)のように。

で、これをマハーバーラタ全文に対して実行すると色んな文の関係が抽出出来ます。例えば、「この登場人物に係っている修飾語はどういうのが多いか?」のように。

ドゥルヨーダナだとこうなります。
スクリーンショット 2015-09-19 11.23.42

wicked(悪徳の)と言った単語が多いですね。

ユディシュティラだとこうです。
スクリーンショット 2015-09-21 14.23.48
virtuous(有徳の)と言ったドゥルヨーダナとは対照的な単語が並びます。

全データはここに置いておきます。
http://thetenthart.main.jp/data/mahabharat_chara_chunk.csv

C88告知

 告知が遅れましたが、3日目東S29a参加します。
 予定していた古代インドが舞台のノベルゲームは制作が間に合いませんでした。申し訳ありません。
 去年制作した古代ギリシャが舞台のノベルゲーム「らうりえの花」を持っていきます。
 それと「らうりえの花」でも題材にした「デルフォイの巫女」の解説資料を無料頒布します。
 よろしくお願いします。

 らうりえの花については以下の記事をご参照ください。
http://thetenthart.main.jp/?p=30
 以下の看板が目印です。
C87ポス_sma

東方学院レポ

 今年度から東方学院でサンスクリット語を学ぶ事にしました。
 東方学院はインド思想研究における重鎮中の重鎮、元東大教授中村元が創立した私塾です。
 以下ホームページ
 http://www.toho.or.jp/gakuin.php

 ここでは主に仏教やヒンドゥー教のインド思想や語学が学べます。
 料金は入学金が35000円で、一講座年間40000円です。
 年間40回以上あるので1回1000円くらいと考えれば安いのでは無いでしょうか?
 難点は平日昼間の講義が多い事です…。
 自分の取っているサンスクリット講座は火曜日の19時45分からなので受けに行けます。
 受講者は8人くらいで、年配の方も多いですが、20代の人も自分含めて3人いました。
 お寺の坊さんがいたりして、受講者には仏門関係者が多そう。
 授業は講義と問題の解答を生徒にさせる方式で進みます。
 なので、授業にちゃんと参加していれば1日1回は必ず当たるので、ちゃんと実力が身につきそうです。
 先生との距離も近いので質問しやすい雰囲気です。

 教員は、岩波文庫から出ているシャンカラのウパデーシャサーハスリーの翻訳をされている前田専学学長をはじめとして、インド思想を専門にした大学の先生の方々です。

 何か他に面白そうな事があればレポートを追記します。

人の褒め言葉としての「神」。一神教と多神教

日本人は人に対してよく神!って言いますね。
たとえば絵師に対して神絵師!などと言ったりします。
この説明として「日本人は八百万の多神教だからこういう言い方するけど、これ一神教のキリスト教ではありえないんだよー」というのをよく見かけます。
自分もそうだなーって思ってました。

しかし、この前の東西哲学の対話学会でユダヤ教の学者の方が
「ユダヤ教では神を表すエロヒムという言葉は優れた人間にも使う」
と言っていました。

まじか・・・・・。

一神教とか多神教は実は関係ない???

そう思って、アメリカ人(キリスト教知ってる人)に聞いてみました。

俺「アメリカ人は人間に神って言うの?」

米人「アメリカ人、いやキリスト教徒だって人に神(god)と言うことはあるよ。でもそれはキリスト教の神という意味じゃない。多神教的な意味合いで使ってるんだろうね。でもそんなに頻繁には使わない。日本の方がよく使われるんだろうね。アメリカだとどっちかっていうと神みたいな(godlike)という言葉を使う方が多いかな。」

以下原文
Sure, American people will use the word “god” like that sometimes. We don’t mean the Christian “God”, but we’re implying polytheism, like how there are many Greek gods. Since we don’t mean they are literally God, even a Christian could use the word “god” like that in a general sense.

It’s not used a lot, though, it’s probably way more common in Japan. Also I think saying someone/something is “godlike” or “like a god” is more common than just calling someone a “god”

結論:一神教徒でも人に「神!」と言うことはある。

意外な発見です。
勿論、日本人の方が多用している可能性はあるので、一神教と多神教の観念が全く影響していないということではないでしょう。
ただ、一神教徒でも、人に神と呼ぶことはあるという多神教的な発想があるのは面白いです。