読書録「文章読本:谷崎潤一郎」

読書備忘録

読んでよかった本の感想やら要点を書き綴っていきます。

今回は、谷崎潤一郎の「文章読本」です。

自分も小説?を書くにあたって何か良い文章の指南書は無いかな、と思って読んでみたのが、

同名異作の本がたくさんある「文章読本」です。

この文章読本というのは所謂小説の指南書というよりかは文章の指南書です。

どうすれば良い文章を書けるのか、という点に力点が置かれていて、プロットはどうだのということについては一切書かれていません。

古今東西に作文の指南書は沢山ありますが、その原点と呼ぶべき書物『文章読本』が、昭和9年西暦1934年に、谷崎潤一郎氏によって書かれています。

今から80年前なので、そこに書かれている理論は既に風化してしまっているのではないかと思う人もあるかと思いますが、驚くべきことに、80年経った今でも、そこに書かれている教義は少しも色褪せておらず、現代でも十分に通用する事柄が書かれています。この谷崎氏の「文章読本」の後には、三島由紀夫氏、川端康成氏、中村真一郎氏、丸谷才一氏らも同名の書を記しています。後続の書を読んでみると、嚆矢である谷崎氏のものには及ばないものの、示唆的な内容がいくつか散見されます。

これらの書物に書かれていた、興味深い、ためになると思ったトピックをいくつか紹介していきたいと思います。

1.文章の視覚的効果

文章を書く上において、視覚的効果と聴覚的効果を忘れてはならないということです。

視覚的効果というのは、たとえば、「文章」と「ぶんしょう」と「ブンショウ」では、読み上げる音と意味は同じですが、それが与える視覚的効果は全く違う、ということです。

日本語には、漢字、ひらがな、カタカナという3種類の文字があるので、これらの使い分けによって読者に与える印象を大きく変えることが出来るのです。

蜂は羽目のあはいから摩抜けて出ると一ト先づ玄関の屋根に下りた。其処ではねや触覚を前足や後足で丁寧に調べると少し歩きまはる奴もあるが、直ぐ細長い羽を両方へシツカリと張ってぶーんと飛び立つ。飛び立つと急に早くなつて飛んで行く。

ここに「ぶーん」という擬音語が出てきていますが、

これは「ブーン」でも「ぶうん」でもいけないようです。

ブーンだと羽がはばたいている感じが出ないし、

ぶうんだと速く飛んで行く感じが出ない、と書かれていて、成る程なぁと得心しました。

カタカナを効果的に使う手法を最初に考案したのは伊藤整氏のようで、「女性に関する十二章」でその手法が使われています。

もし、ある女性が、その夫や愛人が自己に貞潔を守ってくれることを理解した時、彼女は、その男性に相当強い感謝と理解とを示すべきだと私は思います。男性、それは実に抑止しがたい性の力に追いかけられていて、苛責を負える、苦しめる、罪の意識に悩める哀れな存在であることを、世の常の女性は知らずにいて、ウチノヒトはアタシを愛していない、などと単純に考えがちです。

個人的には、カタカナを効果的に使用している作家としては、夢野久作氏も挙げたいので、以下に例文を記しておきます。

 

私は少し頭を持ち上げて、自分の身体からだを見廻わしてみた。
 白い、新しいゴワゴワした木綿の着物が二枚重ねて着せてあって、短かいガーゼの帯が一本、胸高に結んである。そこから丸々と肥ふとって突き出ている四本の手足は、全体にドス黒く、垢だらけになっている……そのキタナラシサ……。
 ……いよいよおかしい……。
 怖こ怖ご右手めてをあげて、自分の顔を撫なでまわしてみた。
 ……鼻が尖とんがって……眼が落ち窪くぼんで……頭髪あたま蓬々ぼうぼうと乱れて……顎鬚あごひげがモジャモジャと延びて……。
 ……私はガバと跳ね起きた。
 モウ一度、顔を撫でまわしてみた。
 そこいらをキョロキョロと見廻わした。
 ……誰だろう……俺はコンナ人間を知らない……。
 胸の動悸がみるみる高まった。早鐘を撞つくように乱れ撃ち初めた……呼吸が、それに連れて荒くなった。やがて死ぬかと思うほど喘あえぎ出した。……かと思うと又、ヒッソリと静まって来た。

2.文章の聴覚的効果

書かれた文字であっても、その聴覚的効果は無視してはいけないそうです。

すなわち、それを実際に読んでみたときにリズム感があるかどうか、すらすら読み上げることが出来るかどうかが重要になります。

「文章読本」では、具体的に聴覚的効果のある文章は挙げられていませんでしたが、

泉鏡花、石川淳氏がそれに該当すると言われています。

以下は自分が勝手に選んだ、渋沢栄一の「渋沢百訓」の一節です。

今其の既往の径路を回想すれば、高山大川あり、城市苑囿あり、林壑あり、原野あり、万里浩洋の水程あり、帆檣林立の港湾あり、春和景明怡然として喜ぶべきものあり、寒烟蕭雨悽然として悲しむべきものあり。光景の変ずる処感慨之に伴うは、人情のまさに然るべきものなり。古人言あり、干戈を視れば則ち闘を思い、刀鋸を視れば則ち懼を思い、廟社を視れば則ち敬を思い、第家を視れば則ち安を思うと。余の径路に於けるも、亦もって其の思いなきあたわず。既に思いありて言に発するは、是れ猶、鳥の春に鳴き、雷の夏に鳴り、虫の秋に鳴き、風の冬に鳴ると何ぞ異ならんや。しからば則ち余の事物に感じて言を作すものは、実に七十余年閲歴の随感録と謂うべきのみ。

このように、漢語調の文章というのは実にリズム感に富んでいます。

現代的な文章でリズム感のある文章というのを上手く探し出せなかったのが悔しいですが、何か見つかればまたブログに載せていきたいと思います。