ネアンデルタール人はホモ・サピエンスと出会っていたのか?

今回は、過去に絶滅してしまった人類であるネアンデルタール人について書きます。

果たして、ネアンデルタール人はホモ・サピエンスと出会っていたのか?をテーマに書いてます。

大学の頃に書いたレポートが元になってます。以下本文。

 

現存する生物で最も人間に近いのはチンパンジーだと言われているが、絶滅した種を含めると最も人間に近かった生物は、ホモ・ネアンデルターレンシス、ネアンデルタール人である。

昔は、我々ホモ・サピエンスはネアンデルタール人から進化したなどと考えられていたが、後にこの仮説は誤りであることが証明された。それほど両種はよく似ているが、もちろん違いも存在する。ネアンデルタール人の特徴として挙げられるのが、がっしりとした体格である。肉付きがよく、太く短い四肢に長い胴を持っていた。これは寒冷気候であるヨーロッパに適応した形質であるといえる。それに対し、現代のヨーロッパ人は比較的ほっそりとして長い四肢を有している。ヨーロッパに住み続けていたネアンデルタール人が進化して、ホモ・サピエンスになったとするのであれば、このような変化は生存に不利であり、起こりうるはずもないのである。(進化論では、生存に有利な方向に生物は変化していく。)

ネアンデルタール人はサピエンスの祖先で無いことは分かった。では、両種の遭遇に関してはどうだろうか?ホモ・サピエンスは5万年ほど前に出アフリカして、3万から4万5千年前までは西ヨーロッパに生息していたことが発掘調査から分かっており、これはネアンデルタール人の生息地域、時期と重複している。では、両者の邂逅、それによる両種の混血は無かったのだろうか?

両種が出会ったかどうか?それについては示唆的な物証が存在する。ネアンデルタール人が、サピエンスから文化の影響を受けたという証拠があるのである。この説明のためには、まず両種の文化の違いを説明する必要がある。

そもそも、文化とは何だろうか?生物学的な意味での文化は、「遺伝子とは無関係に、他個体からの伝達によって集団中に伝播し、世代が変わっても受け継がれていくもの」と定義つけられている。文化人類学的な考えでは、文化は人間のみが持つものであるとしていることが多いが、多くの生物学者は動物にも文化が存在するとしている。たとえば、チンパンジーにも文化がある。イギリスの人類学者ジェーン・グドールによると、「蟻塚からシロアリを釣るために小枝を加工しはじめたチンパンジーがいて、それを他の個体が真似しはじめて集団中に広まっていった」という例が報告されている。これは、「伝播する」という上記の定義から考えても、文化と判断することが出来る。そうして、考えると、ネアンデルターレンシスにも当然文化が存在していた。石器の製作と使用は文化と言えるからである。

では、具体的にネアンデルターレンシスの文化はどのようなものであったのだろうか。まず、彼らの文化にはムステリアン文化と呼ばれるものがある。顕著な特徴が石器と埋葬習慣に顕れている。この文化ではルヴァロワ石器と呼ばれる薄く鋭利な破片を石器として用いている。打製石器は製作する際、打ち割った石から出来る二つの破片の内、削り取られた小さい方の破片を剥片と呼び、残った大きい方の破片を石核と呼ぶのだが、従来型の石器では残った石核の方を石器として用いていた。しかし、ロヴァロワ型の石器では削り取られた薄い剥片の方を石器として用いている。これは、ホモ・サピエンス以降の石器作りにおいても見られることであり、ネアンデルターレンシスの時点で石器作りに大きな変化が起こったといえる。
初期のホモサピエンスに見られるオーリニャック文化では、さらにその手法を発達させて押圧剥離とよばれる方法(石器を叩かずに、押すつけて圧力で剥片を作る方法)で、長さ数cmの小さい剥片を作り出す技術を生み出している。さらには、用途別にさまざまな加工が施されていた。しかし、両者の文化の違いを分けるのは石器だけではない。決定的なものはラスコーの壁画に代表されるような洞窟絵画や彫刻の存在である。こうした芸術的な活動を行っていたのはホモ・サピエンスのみであり、この特性こそがサピエンスと他の種の分ける最大の違いであると強調されてきた。イギリスのリーディング大学教授のスティーブン・ミズンは「ネアンデルタール人は確かに知能は発達していたが、博物学的知能、技術的知能、社会的知能のそれぞれが乖離していた。それに対し、ホモ・サピエンスはそれぞれを融合した総合知性を持っていたために芸術的観念を発達させることが出来た」と述べている。しかし、本当にネアンデルタール人は芸術観念、(象徴的思考とも呼ばれる)を持っていなかったのだろうか。

西ヨーロッパに3.6万年前から3.2万年ほど前に栄えたとされる文化にシャテルペロン文化というものがある。この文化はネアンデルタールのムステリアンとホモ・サピエンスのオーリニャック文化の中間にある文化とされ、象牙のビーズなど、象徴的思考を必要とする加工物が発見されている。このことから、こうした文化はホモ・サピエンスに属するものであるという意見が大勢を占めていた。しかし、フランスのサン・セゼール、アルシ・シュル・キュールといった遺跡ではネアンデルターレンシスの遺跡と共にシャテルペロン文化に属する遺物が発見されたため、シャテルペロンがネアンデルターレンシスの文化であると認めざるを得なくなった。ネアンデルタール人も象徴的思考を持っていたのだ。

何故、ネアンデルタールは絶滅寸前に象徴能力を発現しはじめたのか。当時の有力な意見は、ホモ・サピエンスとの邂逅によってこのような文化を学んだから、というものであった。それならば、ネアンデルタールとサピエンスが交配できた可能性については、多いに賛同の余地がある。唯一の難点は、遺伝子の違いによって、交配が不可能な場合である。それを解消したのがRichard E. GreenやHerman A. Burbankらの論文である。彼らは、38000年以前にクロアチアに生存していた三人の女性のネアンデルタール人の骨から核DNAを抽出した。そして現生人類に関しては、世界各地域から5人のDNAを抽出し、解析に用いた。その結果、ヨーロッパ人やアジア人DNAはその1~4%ほどをネアンデルターレンシスと共有しているというのである。これに対し、アフリカ人はそのような配列を有していない。このことから、ホモ・サピエンスがアフリカから出て、ヨーロッパに到達した後でネアンデルターレンシスと交配したという可能性が第一に考えられる。

交配が起こった時期に関しては、5万年前に出アフリカしたホモ・サピエンスが6万年ほど前まで中東に暮らしていたネアンデルタールがその時期の間に交雑したのだと推測されている。シャテルペロン文化における文化の伝播が起こったのが4万5千年から3万年であるため、この結果は先の「サピエンスからネアンデルターレンシスへの文化の流入が起きるほど二種間で交流があったこと」を支持しない。但し、ネアンデルターレンシスとサピエンスが邂逅していたことがほぼ証明されたことから、今後の研究の発展如何によっては証明される日が来るのかもしれない。ネアンデルターレンシスとサピエンスが交配可能であるにもかかわらず、あまり証拠となる遺物が発見されない事に関して、ペンシルバニア大学のサラ博士は、互いの接触を妨げる文化的障壁があったのかもしれない、と述べている。たとえば言語によるコミュニケーションができない、といったような。
では、一体どれほどの頻度で我々の祖先はネアンデルターレンシスと交雑していたのであろうか?多くの見解としては、交雑の回数はそれほど多くなかったようである。バークリー大学のモントゴメリー氏は、少数のネアンデルタール人が、サピエンスのあるグループと交雑し、そのグループがその後急速に数を増やして言ったためにネアンデルタールの遺伝子が広範に伝わるようになった、というシナリオを提唱している。いずれにせよ、ネアンデルターレンシスとの交雑が稀であった以上、我々はサピエンスとネアンデルタールの雑種ではなく、生き残ったサピエンスであると言える。ネアンデルターレンシスは3万年前に絶滅したのだ。

何故ネアンデルターレンシスは絶滅したか?体格的には寒冷適応しているネアンデルターレンシスがサピエンスより生存上有利なはずである。となると、考えられるのは行動や認知能力の違いである。今まで多く言われてきたことは、先に挙げた象徴化能力の有無である。それは、サピエンスの遺物からはアクセサリーや壁画などが見られるが、ネアンデルターレンシスには無いことから言われている。しかし、先述したように、シャテルペロン文化においてはネアンデルターレンシスも象徴能力を必要とされるものを作っていることが示されている。ホモ・サピエンスを模倣する能力がありながら、サピエンスだけが生き残り、ネアンデルターレンシスは絶滅してしまったのは腑に落ちない。考えられることは、両種が対立関係にあり、サピエンスがネアンデルターレンシスを滅ぼしてしまったことである。邂逅する機会が多くありながらも、交雑の回数があまりに少なかったこともこれに起因すると考えれば合点がいくのではなかろうか。