デルフォイの巫女について

1.序論
 デルフォイの巫女「ピューティア」は歴史上世界に最も大きな影響を与えた巫女だと言えるでしょう。
 ソクラテスがソフィストの啓蒙活動に至ったのもデルフォイの神託がきっかけ[1]だし、ペルシア戦争の際にペルシャ艦隊を追い払う事が出来た[2]のも、アテネの僭主ソロンが政治改革を行ったこと[3]も、スパルタが富国強兵的な政策方針に転換した[4]のも、全てデルフォイの神託がきっかけだと言われてます。
 ギリシャに限らず古代は女性差別の激しかった時代です。それにも関わらず、国政に影響を与えるほどの発言権を持っていたデルフォイの巫女とは一体どんな役職だったのか?この事についてに触れてみたいと思います。

出典
 [1]ソクラテスの友人カイレポンがデルフォイのお告げ「ソクラテス以上の知者はいない」をソクラテスに伝えた事がきっかけ。[ソクラテスの弁明 岩波文庫]
 [2]B.C.480、ペルシア軍がギリシャに攻めてきたとき、デルフォイの神託は「風に祈れ」と述べた。その結果、嵐が起こり、ペルシアの艦船に壊滅的打撃を与えたという。
The oracle ancient Delphi and the science behind its lost secrets 位置No.916
 [3]”Policy of compromise would bring the best results.Sit in the middle of the ship, guiding straight the helmsman’s task, Many of the Athenians will be your helpers”
The oracle ancient Delphi and the science behind its lost secrets 位置No.700
 [4]スパルタの王リュクルゴスはデルフォイの神託を聞いて、富国強兵政策を打ち出すようになった
The oracle ancient Delphi and the science behind its lost secrets 位置No.678
 

2.信託の儀式
 デルフォイの神殿の地下には巫女が信託を告げるための儀礼場がありました。
 巫女は三脚台の上に座り、岩の裂け目から漏れだす蒸気(プネウマ)を吸って、恍惚状態に陥り、その状態で預言を告げていたそうです。
 蒸気(プネウマ)とは何なのでしょうか?恐らくメタンガスであるという説が有力のようです[5]。
 デルフォイの神託をお願いするには料金と動物の生贄が必要だったみたいです。
 信託にかかる料金は、紀元前402年のとある資料によると公的機関による依頼なら7ドラクマと2オボール、私的利用ならその4オボール[6]。
 1ドラクマが肉体労働者の1日の給料だったことを考えると相当安いですね。こんなに安くてよかったんでしょうか。
 生贄の動物には多くの場合ヤギが使われました。生贄の動物が吉兆を示さなければ預言を行わなかったようです。たとえばヤギの場合は、聖水をふりかけた時に、正しい身震いの仕方をしなければならなかったとか。 正しい身震いの仕方がどういうものかは詳しくは判明していませんが、たとえばひづめを上にあげる、ということが一つの要素ではあったようです[7]。

出典
 [5] The Delphic Oracle: A Multidisciplinary Defense of the Gaseous Vent Theory
 [6] Delphi: A history of the center of the ancient world; 17ページ参照。
 [7] Delphi: A history of the center of the ancient world; 15ページ参照。

 

3.デルフォイの神
 デルフォイの預言は神の言葉だとされています。神がお告げを巫女に吹き込み、それが巫女の口から語られます。ここで言う神って誰なのかっていうと、それはもう古代ギリシャにおける預言の神アポロンの事です。ギリシャ神話では預言を行うのはアポロンだけではありません。例えばドドナにはゼウスの信託所がありました。
しかしながら、もともとデルフォイでは別の神が預言を行っていたとされています。
ゼウスの祖母でもある地母神ガイアです。ガイアが預言者の座を娘のテミスに譲り、それからアポロンがせめて来て、デルフォイの守護者であったピュートーンを殺し、預言者の座についたと言われています。この神話は、元々地母神ガイアを信仰する民族がデルフォイにいて、それを外来の民族が征服した事を示しているという説があります[8]。

出典
 [8]Delphi: A history of the center of the ancient world; 31-36ページ参照。

 

4.デルフォイの巫女の起源
 デルフォイの巫女は、西暦392年に古代ローマのテオドシウス帝がデルフォイの神託を異教として禁止するまで、少なくとも1000年以上にわたって預言の神アポロンの預言を伝え続けてきました。
 デルフォイの神託がいつから行われていたかは不明です。ただ、ホメロスの著作で既に言及されていたことから、少なくとも紀元前700年には存在していたと考えられています。そして、【デルフォイの神】で前述したように、デルフォイでは元々別の神が崇められていた事を考えると、更に昔に遡る事が出来そうです。起源は紀元前2000年まで遡ると主張している学者もいるそうです。
 別の説によると、紀元前900年が起源であったり、学者によって推定年代のバラ付きが大きいようです[9]。

出典
 [9]Delphi: A history of the center of the ancient world; 31-36,53ページ参照。

 

5.デルフォイの巫女の暮らし
 神託はアポロンにとっての吉数である7日に行われていました。
 しかし、デルフォイの神託は冬には行われなかったので、デルフォイの巫女が信託を伝える日はわずか9日だけだったそうで[10]。年間350日休暇ですよ・・。今の日本なら超ホワイト企業ですね。冬に信託を行わなかったのは、冬には上述した蒸気(プネウマ)が地下から発生しなかったからだと伝えられています。冬には預言の神アポロンはデルフォイを去り、代わりにディオニュソスがやってくると伝えられていたそうです。しかし、神殿が忙しくなると毎日行うこともあったそうです。
 ピューティアの身分は結構高かったらしく、演劇は最前列で見に行けたし、自分で土地を持ってたりもしたらしいです。
 ピューティアがどのようにして選ばれたかは謎に包まれています。分かっていることは、他の神官らが、高貴な出自の者たちであったのに対し、ピューティアは平民であったということです(デルフォイの市民から選ばれる)。
 また、当初は若い処女が選ばれていましたが、一度、ピューティアが住民の一人に犯される事件が発生してからは、50近い老婆が選ばれるようになったそうです[10]。

出典
 [10]Delphi: A history of the center of the ancient world; 13ページ参照。

 

6.著名なデルフォイの巫女
 フェモノエ - デルフォイの最初の巫女。「汝自身を知れ」という言葉を残した事で有名。

 テミストクレア - 某定理で有名なピタゴラスの先生だった人。

 クセノクレア - 親友殺しの罪で病を負ったヘラクレスに「1年間奴隷として働けば病は治る」と伝えた。

 クレア - かのプルタルコスの盟友だったと伝えられる巫女。プルタルコスは古代ローマの有名な歴史家で「英雄伝」「モラリア」の作者。デルフォイの神官長を務めていた事でも知られる。古代ローマ第一級の知識人であったプルタルコスと対等に知識交流が出来た巫女がいたというのは驚きです。

 アリストニス - サラミスの海戦の頃のピューティア[11]

 ペリアルス - スパルタのクレオメネスが賄賂で買収して、望まれる通りの預言を行った巫女。クレオメネスは政敵であったデマラトゥスを追放するために、「デマラトゥスはスパルタ王の本当の息子ではない」という嘘の信託をペリアルスに述べさせた。[12]

出典
 [11]Delphi: A history of the center of the ancient world; 脚注1参照。
 [12]The oracle ancient Delphi and the science behind its lost secrets
 位置No.1958

 
7.デルフォイの信託に関する本
 いかがでしたでしょうか?
 デルフォイの巫女は調べてみると非常に面白いのですが、残念ながら得られる情報源はかなり少ないです。
 たとえば、日本語でデルフォイの信託について書かれた本は、
  「デルフォイの神域 (世界の聖域 3) 講談社 1981 」
 が自分の知っている限り唯一のものです。かなり古い本ですね。
英語の書籍なら上の引用でも使った二冊の本があります。

 1. The oracle ancient Delphi and the science behind its lost secrets; William J Broad; Penguin Books(2007)
 2. Delphi: A history of the center of the ancient world; Michael Scott; Princeton University Press(2014)

 他にもデルフォイの信託を扱った現代小説として
  「巫女」 - ラーゲルクヴィスト 岩波文庫
 があります。これは非常に面白い本で、一気に読み終えてしまいました。
当サークル制作のノベルゲーム「らうりえの花」はこの小説をモデルにしています。
宗教文学としては珍しくギリシャの神(アポロン)を題材にしていますが、宗教観や神の捉え方は完全にキリスト教ですね。山の奥にひっそりと暮らしている元巫女の老婆が、過去を追憶していくお話です。語り手は老婆ですが、巫女であった時は若い少女だったようです。

もう一つ、
「巫女の死」 - デュレンマット 新潮文庫
 という小説がありますが、これは賄賂を題材にしたお話です。このデルフォイの巫女は、ラーゲルクヴィストの小説とは違って老婆です。信託自体を悪く描いている印象があったので、個人的にはあまり好きな小説ではありませんでした。

2 thoughts on “デルフォイの巫女について

  1. デルフォイの信託について学びたかったため、本を紹介していただき参考になりました

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