インドネシア(ジャワ島・バリ島)旅行記3・ジョンバン、モジョケルト

次の日は七時の電車に乗らないといけないので5時半に起きる。どこもレストランは空いていないので、カップラーメンを食べて駅へ。

チケットを駅員に見せて乗り込む。まだ自動化されていないらしい。

電車内は割と綺麗目だったのだが、エコノミーなので車内が狭かった。席を予約するシステムなので立っている客はいないのだけれど、席が狭くて四時間座っていると足と尻がかなり痛くなった。ちなみに料金は四時間で600円程だった。安い。

Jombangに着く。

連れのインドネシア人の父親に迎えに来てくれた。

この町はかなり綺麗目で、またインドネシアの印象が変わった。聞いたところによると、町の衛生面で賞を取った町らしい。インドネシア随一に綺麗な都市ということか。

知り合いの家の前は空手道場になっていた。「日本の道場はこんな感じの建物なのだろう?」と聞かれたので、「全く違う笑」と答えておいた。空手道場の師範はなぜか日本語で、先輩senpaiと呼ばれているらしい。せめて先生senseiの方が良いのでは。

寝不足だったので、少しフルーツなどをいただいた後、昼寝をする。もらったフルーツはスネークフルーツというものだった。文字通り、蛇のような皮をしている。中身はニンニクのように見えて、食感はニンニクのようで、味はなんとも表現しにくいけど、リンゴから水気を除いたような甘さだろうか。

夜起きた後は、夜店やモスクに連れて行ってもらう。インドネシアの大体の都市には大きなグランドモスクがあるらしい。

何か儀式中だったので中には入れなかった。

Jombangの伝説のナシゴレン屋に行く。店は橋の近くにあってボロめだった。

公園にお遊戯コーナーのようなものがあり、マリオがいた。

ところでこの家のトイレは汲み取り式だった。となりに水槽があり、用を足した後は、そこから水を汲んでトイレに流し込む。

夜は、知り合いのお兄さんを交えて話をした。お兄さんは日本のファイナルファンタジー好きらしい。彼が日本の漫画にハマったのはお兄さんの影響のようだ。日本のインドネシアにおける立ち位置のような話をした。第二次大戦開戦時には、日本はインドネシアの救世主だと期待されていたが、実際には搾取をして終わった。しかし、現代のインドネシアでは日本は好意的に受け取られていて、特に若者は日本の漫画やアニメが好きな層が多いとのこと。中国に対しては、イスラム文化が破壊されるとかされないとかで、近年反中国的な機運が高まっているらしい。中国人だと思われると差別されるかもしれないから気をつけろよなどと言われた。(しかし、滞在中に差別されたことはなかった。というより、インドネシア人に同行していたので完全にインドネシア人だと思われていた。)

日本がインドネシアを占領した際にインドネシアに根付いてしまった文化としてOspekと言うものがあるようだ。これは学校で、教師が体罰などを加える文化のことで、近年日本ではなくなったように思えるけど、インドネシアでは根強く残ってしまっているようだ。日本語がインドネシアを占領していたのはわずか3年半程度だと思うけれど、現代でも悪習の残滓が残ってしまっているのは驚きだった。

次の日は、知り合いのお父さんがマジャパヒト王国の首都モジョケルトに連れて行ってくれた。マジャパヒト王国はインドネシアの歴史上最大の王国でその版図はタイやベトナムまで広がっていたという(後ほどウィキペディアで調べたところによると、版図については諸説あるらしい。恐らく、現地の人は偉大さを強調するために仮説の内で最も大きいものを採用しているのかもしれない)。しかし後にイスラムに駆逐されて、バリ島まで逃げていった。現在のバリ島にはマジャパヒト王国の末裔が住んでいるのだという。マジャパヒト王国は恐らくイスラムに破壊されたせいかあまり目立った建造物は残っていない。現在のインドネシアの国旗もマジャパヒト王国の旗が由来らしい。まず博物館にいったが、あまり大したものはなかった。外国人料金が現地人の10倍かかる約400円のくせに、説明にあまり英語がないし、たまにあってもGoogle翻訳の方が10倍精度が良いと思えた。

シヴァ神の記述だけれど、英語が完全に崩壊している。Siwa is believed as destroyed godで笑ってしまった。
ビーマ(インドの叙事詩マハーバーラタの英雄)の像。マジャパヒト王国の末期にはビーマのカルト教団が現れたという記述が気になる。
蓮の花
マジャパヒト王国時代に建てられた何か。
マジャパヒト王国時代の何か。

栄華を誇った王国の首都なのにほとんど遺物が残っていないのは、よほど手酷く破壊されたのだろうと思った。帰り道に屋台によって、pasoというスープを食べた。

paso。つみれ汁みたいな味。右のは揚げ豆腐。ケチャップや醤油やサンバルを混ぜるとまた違う味わいになる。

Jombangに戻った後は夜ご飯をご馳走になった。そして、洗濯もしてくれるというのでしてもらうことになったのだが、洗濯機に放り込むのかと思いきや、なんと女中が手洗いしていたので悪いことをした気持ちになった。

割と裕福そうな家庭なのに洗濯機が無いということは大半の家庭には無いのだろう。ホテルだと市井のインドネシア人の暮らしはわからないのだなと思った。

そしてバリ島に向かう。当初はバリまで電車で行こうと思っていたけど、予約を取るのが難しかったので、急遽スラバヤ空港からデンパサールまで飛ぶことにした。スラバヤ空港までは、知り合いのお父さんに送ってもらったのでこれまた非常にお世話になった。スラバヤ空港は、まあこれもジャカルタ空港同様無機質な感じだった。

フライトはlion airで一時間くらい遅延したが無事バリに着いた。ここで、知り合いの知り合いが来た。彼はアメリカで高校と大学を終えており、なんというかアメリカの高校生のような英語を話していた。broとfuckとshitを連呼する感じ。この人に連れて行ってもらって晩御飯を食べた。ミーゴレンのアチェ版。普通のミーゴレンより辛味が強い。自分は普通のミーゴレンの方が好きだな。後、ミーゴレンアチェにはガンジャやマリファナが含まれているという話も聞いた。本当かわからないけど。バリではお酒が飲めるぞと言われたけど(ジャワ島では飲めなかった)、元々呑まないのであまり自分には関係なかった。

ホテルに着いた。インナバリヘリテージというホテル。4人部屋で一泊5000円程度だったと思う。ホラーに出てきそうな古びた洋館で、シャイニングを思い出した。これは古いコロニアル様式の建物らしい。ちなみにインドネシアのホラー映画では、大体こうしたコロニアル様式の建物が舞台になるのでインドネシア人にとっても、ホラーの館に見えるらしい。


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